松峰照稽古所は東京青山にある小唄教室です。
毎週火曜・水曜・金曜に小唄と三味線のお稽古を行なっており、
20代~80代の方まで多くの方が楽しくお稽古されています。
初めての方にも分かりやすく指導いたします。
ご興味のある方はぜひ一度見学にいらしてください。
お稽古は火曜・金曜は青山で、水曜は新橋で行なっています。
私は小唄の作曲を始めたのは昭和四十四年からと思います。始めは唯ひねくり廻しているだけでしたが、その中に自分なりに方向を見定め、意義ある考えの上に立って作曲してゆかなければならぬと思いました。
現在唄われている「古典小唄」は江戸・明治・大正前期の時代に生きた方々が、「準古典小唄」は大正の関東大震災から昭和二十年八月の終戦まで生きた方々が、その時代の世相・風俗・生活感情を表現したもので、戦後の昭和から平成と生き続けている私が、「現代の小唄」の作曲を志すならば、未熟ながら現代の感覚で、表現、作曲すべきではないかと考えました。
古典・準古典小唄と現在の「現代小唄」とが違わねばならぬ事は、第一に時代感覚が異なること、第二にお座敷小唄が「会場小唄」になったと云うことです。
お客様を大勢前にして聞かせるためには、演奏家と聴衆の距離を埋めるために、演奏様式に大きな変化が生じてきました。唄は唄って楽しいだけではなく、聴く人に唄の内容がはっきりとわからせるためには、発声・発音・説得力が必要となりました。三味線も柔らかい音色より冴えた音〆とさわりのある絃の魅力を出すために、硬い棹と綾杉胴を使用することが近頃では常識のようになりました。勿論爪弾きは、小唄の三味線を象徴する特徴のある弾き方で、他の邦楽にない音色なので、これは絶対に守り伝えてゆくべきで、この様な状況の上に立って、構成力を充分に考えて、作曲してゆかなければと思いました。
当初から私は、「三味線音楽に若い人達の関心を向けてもらいたい。そのためには、短くて入りやすい小唄を邦楽の窓口にしたい」と考えておりましたので、作詞家の方々に清新でユニークな「現代小唄」の作詞を戴いて、
(イ)歌謡曲の節調をとりいれた易しい節付をし、次に洋楽の歌曲・器楽曲・ポップス調をとり入れ、小唄に新しい衣を着せて、若い人達に現代を感じさせること。
(ロ)「三絃小歌曲」と呼ばれる端唄・俗曲を大胆にとり入れた、早間で軽妙な江戸前の小唄の世界に若者を誘導すること。
(ハ)各地の民謡をとり入れて、若者に親しみやすく、情緒あふれた小唄を提供すること。
(ニ)このあとに、長唄・清元・新内・薗八その他の邦楽と、歌舞伎の下座音楽をとり入れた、しかも古典小唄をふまえた本格的な現代小唄を登場させること。
(ホ)そして最後に、芝居小唄(歌舞伎・新派・現代劇)と落語などを題材とした小唄を加えること。
大体こうした構想のもとに、作曲に当たっては、弾きやすく、唄いやすい、誰にも内容の理解できる曲、会場小唄に適した唄い方で聴衆を楽しませる曲をモットーに、「若い人達はもとより、皆様に愛唱して戴ける現代小唄」を目指しておりました。
最近では、小唄は二曲演奏が立前ですが、二曲目に移る時、変調に時間がかかるのは無駄な様な気がして、長めの曲を、ドラマチックに、説得力のあるわかりやすいこと、を条件に作曲をしております。
小唄の場合、脚本は作詞ですが、その演出・舞台装置・照明・鳴物・美術と、頭の中で状況を作り上げ、その中に没頭して作曲してゆくのは、苦しさだけではなく、楽しみもいっぱいです。
次に新曲の演奏ですが、私は小唄は「唄うより語れ」と教えられてきました。良い声を聞かせるだけでなく、詩の心を切々と訴える情感が前に出てこそ感動があり、唄う喜びがあるわけです。従って私は舞台に上がった時は、芝居の役者になったつもりで、聴衆と一体になって、曲趣によって、或は早間で歯切れよく、或は繊細にしっとりと、或は呂を利かして力強く、唄にメリハリをつけてドラマチックに説得力を強調するなど、持てる技巧を充分に活用して、舞台芸術としての工夫をして演奏しており、弟子達にも常々そう申しております。
この様な考え方から、稽古の合間に、演奏の合間に、二百二十数曲の新曲ができました。何と云いましても、作詞あっての作曲です。御協力戴いた作詞家の方々に心から御礼申し上げます。
日本人の作って育てた、この小唄芸術が、今後どの様にして次の世代に親しんで唄い継がれてゆくのかは、私達師匠の責任と存じます。まだまだ未熟者で行き届かぬことばかりですが、命ある限り勉強してゆくつもりです。
伝統とは、守るだけではなく、その時代に理解されるように工夫を加え、新風を入れて現代に生き、それを次の時代に伝えて、歴史はつくられてゆくもの、と考えております。
平成十二年三月吉日
初代家元 松峰照改め
松峰千照